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「日本女子オープン」服部道子×李知姫のプレーオフ
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服部道子プロ  写真提供=共同通信社 名勝負は往々にしてプレーオフにみられます。女子ゴルフツアーの中で最も印象的な戦いと言われるのは、2003年10月2日から5日までの4日間、千葉CC野田コース(6,480ヤード、パー72)で開催された「日本女子オープンゴルフ選手権」です。

この大会で注目を集めたのは、前週に行われた「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」で優勝した若干18歳(当時)のアマチュア、宮里藍が連続優勝を狙って乗り込んできたことでした。日本の女子ゴルフツアーでアマチュアがプロを抑えて優勝したのは1973年の第1回「トヨトミレディス」(愛知県・貞宝CCで開催)で、当時アマチュアだった清元登子プロ(現日本女子プロゴルフ協会副会長)が優勝して以来、実に30年ぶりのこと。宮里は次回の大会からプロに転向することを宣言していたため、この日本女子オープンがアマチュアとして最後の舞台となりました。
それだけに会場には普段の倍ほどのギャラリーと報道陣が詰めかけました。初日の宮里は、賞金女王の不動裕理と前年の日本女子オープンチャンピオン高又順(コウ・ウスン=韓国)と同じ組でのスタート。緊張のあまりボギーが先行し、初日から78・75と予選落ちの危機に立たされますが、他の選手もスコアを崩し59位タイで辛くも決勝進出を果たしました。また、一緒にプレーした不動裕理は2日目に79、高又順は最終日に77とスコアを落とし、3人ともベストテンに入ることはできませんでした。

変わり身の早い報道陣は、ただ2人だけ1アンダーで残った服部道子(36)と韓国の李知姫(26)の対決に注目します。服部は高校1年生だった1984年に15歳9カ月の史上最年少(当時)で「日本女子アマ」に優勝し、翌1985年には日本人として初めて「全米女子アマ」でも勝利。その後テキサス大を経て1991年に日本に帰国してプロ入りし、数多くの勝利を重ねる日本女子プロ界の実力者です。
一方の李知姫(イ・チヒ=韓国)も韓国の名門、梨花女子大学体育学部を卒業したアスリート。2000年にプロ入りし、翌年の「大王製紙エリエールレディスオープン」で早くも初優勝を挙げています。しかし李が最も活躍したのはゴルフツアー4年目となる2003年でした。この年「サントリーレディスオープン」や「プロミスレディス」など4勝を挙げ、トータル7,800万円を稼ぎ出した彼女は賞金ランキングの2位に位置していました。しかし破竹の勢いで挑んだ「日本女子オープン」で、李は一度は手中にした優勝をスルリと逃す悲運に見舞われるのです。

服部と李、2人のプレーオフは服部が予選、決勝の3日間ともボギーを叩いた苦手の16番ホール(パー4)で行なわれました。そして2巡目、先に打った李の第2打はピン奥8メートルにオン、一方の服部は第2打をやや砲台気味のグリーンに跳ねられて左へこぼすと、続く第3打のアプローチもピンの手前4メートルにオンするのがやっと。この時点で服部は「100%負けた」と思い、李は「2パットで勝てると思った」と後に語っています。服部のパーパットは決まらず結果はボギー、そして李の8メートルのバーディーパットは1メートルほどショートします。丹念にラインを読んだパーパットを沈めたかに見えた次の瞬間、ボールは無情にもカップを外れ2メートル50センチもオーバーしてしまいます。動揺醒めやらぬ李は、返しのボギーパットも外してしまい、結局2オン4パットのダブルボギーで自滅してしましました。両者とも日本女子ゴルフツアーでは屈指のプレーヤーだけに、この大舞台での勝敗の帰趨は後々まで尾をひくことになります。2度目の「日本女子オープン」を制した服部がその後も好調を維持した一方で、李はこの年の賞金ランキングでは辛くも2位をキープしたものの、翌2004年では未勝利に終わり、ランキングを44位にまで下げてしまいました。

この話には続きがあります。2005年7月、北海道のシャトレーゼCC札幌で開催された「シャトレーゼクイーンズカップ」で服部は16番を終わって2位の表順子(31)に2打差をつけていました。残りホールも2つということで誰もが服部の優勝を疑いませんでした。17番ショートでボギーを叩き、その差が1打になっても服部の落ち着きは変わらず、最終18番のロングホールを的確に3オンします。ファーストパットも1メートル弱の位置につけ勝利は目前。このパットを決めれば、後ろからやって来る表が追いつくにはバーディーが必須で、服部の圧倒的な優位は変わりません。ところが服部はウィニングパットになるはずの1メートル足らずのパーパットをカップの左に外してしまったのです。ゴルフは本当に何が起こるか最後まで分かりません。結果、勝負の行方は18番をパーとした表とのプレーオフへとなだれ込みます。18番ホールの繰り返しで行なわれたプレーオフの2巡目、ボギーを叩いた服部に対し、手堅くパーにまとめた表が逆転で勝利し、決着は訪れました。ゴルファーとして遅咲きの表は安定した実力の持ち主でしたが、これまでに2位が11度となかなか優勝に届かず、この日も「12回目の2位」に終わる可能性が大でした。それだけに、これまでの苦労を物語るかのように優勝インタビューで見せた涙はとても印象的でした。一方の服部は、3年前の李知姫の悪夢を今度は自分が味わうという結果になってしまいました。

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