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1999年「日本プロ」「日本オープン」における尾崎三兄弟の死闘
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「尾崎兄弟の死闘」 写真提供=共同通信社 世紀末の1999年はジャンボ、ジェット、ジョーの尾崎三兄弟にとって充実した1年でした。当時42歳の末弟・尾崎直道(ジョー)はアメリカゴルフツアーから一時帰国し、日本ゴルフツアーの前半4試合に出場しただけで5,690万円を稼ぎ出すなどその時点で賞金ランキングのトップを走り、それを長兄の尾崎将司(ジャンボ)が2位で追走するという展開。また次男・建夫(ジェット)も持ち前の長打でランキングの上位に顔を出していました。そして迎えた5月の「日本プロゴルフ選手権」。会場は石川県のゴルフクラブツインフィールズ・ゴールドコースでした。コースは7,136ヤード(パー72)と距離も長いうえにグリーンのあちこちにコブが作られるなど、プロ日本一を争うのに相応しい難易度の高いコースに仕上がっていました。選手の多くが「こんな難しいコースは初めてだ」と口にする中、直道ただ1人だけが「アメリカにはこんなコースはざらにある」と気にもかけていない様子だったのを覚えています。

初日、直道は期待に違わぬプレーで2位につけ、建夫も長尺パターを駆使して10位タイとまずまずの出足、しかしジャンボだけは49位タイと大きく出遅れました。そして3日目、ショット、パットともに冴えを見せた建夫が2位の直道に4打差をつけてトップに躍り出ると、ジャンボも意地を見せ5位タイまで浮上します。ギャラリーの多くが建夫の勝利を予想する中で迎えた最終日、建夫のプレーは緊張から前日とは似ても似つかぬものとなり、直道に逆転を許して3位を確保するのがやっとという有り様でした。驚かされたのはいつの間にかジャンボがスコアを伸ばし、首位の直道と3位の建夫の間に滑り込んで2位を確保したことです。結果、尾崎三兄弟が優勝、2位、3位を独占するという日本ゴルフ史上でも珍しい記録を打ち立てました。

さらに同じ年に北海道の名門コース、小樽カントリー倶楽部(7,200ヤード・パー72)で開催された「日本オープン」でも尾崎三兄弟の死闘が展開されました。石狩湾に面したこのコースは防風林に囲まれた、いかにも北海道らしいスケールの大きなゴルフ場です。しかしひとたび風雨に晒されると、悪魔のように荒れ狂い地元のゴルファーから怖れられています。大会は不運にも初日から天候が悪く、選手にとっては気の滅入るようなスタートになりました。コース設定も「日本オープン」だけに、ラフはくるぶしが隠れるほど長く、フェアウェイも普段よりかなり狭められていました。予選ラウンドで早くも白旗を掲げる選手が続出する中、ただ1人直道がアンダーパーの68をマークしてトップに立ちました。兄のジャンボは64位タイと奮いません。ジャンボにとって「日本オープン」への出場は30回を数え、年齢も52歳になっていました。しかしジャンボは3日目に4位に浮上、45歳の建夫も負けじと3位に上がってきました。この辺りが尾崎三兄弟の凄いところです。他の選手では湯原信光や細川和彦が必死に尾崎兄弟にからんでいきました。最終日は朝から台風と間違うほどの嵐雨となり中止も検討されましたが、主催者の日本ゴルフ協会はあえて競技を強行。そんなコンディションの中、2位の湯原に4打差をつけてスタートした直道でしたが、強烈なアゲインストの風に阻まれ、アウトで6つのボギーを叩き一時は湯原に首位を奪われます。しかしインに入ってから湯原がスコアを崩すと、すかさず首位を奪い返し、初の日本オープンチャンピオンに輝きました。優勝スコアは68・76・76・78=298の10オーバーで、これは当時のゴルフツアー史上最多ストロークです。一方、前の組でも同組で回ったジャンボとジェットが死闘を演じていました。結果はジャンボが4位タイ、ジェットは6位タイ。ひとたび試練に直面すると阿修羅のごとく挑戦する尾崎三兄弟には、確かに同じDNAが存在するのでしょう。

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