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昭和32年 カナダカップに優勝した日本ペア (左からフランク・ペース国際ゴルフ協会会長、中村寅吉、小野光一) |
日本では、1901年に外国人の手によって神戸の六甲山に4ホールのゴルフ場が作られたのが起源とされています。やがて1914年、駒沢に東京クラブが設立されますが、18ホールを備えた正式なコースとして認められたのは1922年に誕生した程ヶ谷CC(神奈川)が最古です。
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| 『カナダカップ Canada Cup(World Cup)』(昭和32年) |
| 第5回カナダ・カップのティーム優勝盃(左)と個人優勝盃(中央)のレプリカと中村寅吉が使用した9番アイアン |
そしてこの程ヶ谷CCに所属していたのが中村寅吉でした。日本でゴルフが興隆するようになったのは戦後のこと。1957年にカナダカップ(現ワールドカップ)が日本の霞ヶ関CC(埼玉)で開催され、中村寅吉・小野光一のペアが団体優勝、個人戦でも中村がアメリカの強豪サム・スニードを抑えて優勝しました。この模様はテレビでも放映され、日本人の多くがゴルフの面白さに熱狂し、第一次ゴルフブームが巻き起こります。カナダカップは9年後に再び、日本の読売CC(東京)で行なわれ、アメリカからニクラウス、パーマーが、南アフリカからゲーリー・プレーヤーが出場、世界の3大スーパースターの競演で、またも日本に第二次ゴルフブームが訪れました。なお、この大会では杉本英世が個人戦で2位に入っています。この頃から日本列島は北から南までゴルフ場の建設が急速に進んでいきました。
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復元された 『旧日本オープンゴルフ選手権トロフィー』 |
日本での公式競技は1926年の「日本プロ」が最初で、翌27年「日本オープン」がスタートしました。しばらくして31年には「関東プロ」「関西プロ」が同時にはじまっています。当時の日本にはこれらの公式競技しかありませんでしたが、宮本留吉らがプロとして活躍していました。そして戦後になると前述した中村寅吉、小野光一をはじめ林由郎、橘田規らの活躍を経て、青木功、尾崎将司の時代を迎え日本でも本格的なゴルフ時代が到来することになります。これに即応するかたちで、1960年に日本で最初の民間トーナメント「中日クラウンズ」が産声をあげました。大会を主催した中日新聞とCBCが試合の模様を連日新聞紙上やテレビで放映したこともあって、ゴルフへの関心は年々高まっていきます。その後も民間トーナメントは増え続け、70〜75年にかけて「東海クラシック」「フジサンケイクラシック」「よみうりオープン」「ダンロップフェニックストーナメント」など、現在まで続くトーナメントが軒並みスタートしています。しかしこの間にも「宇部興産オープン」のように、長い歴史を持ちながらバブル崩壊の影響で撤退を余儀なくされたトーナメントがあることも事実で、ここ10年を振り返っても約半数のトーナメントが入れ替わっています。現在では、その年によって多少の差異こそあれ平均30試合前後が維持されており、2005年も年間29試合、賞金総額も33億8,000万円に上っています。 |