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ゴルフ偉人伝【フィル・ミケルソン】

前人未到の記録を打ち立てたゴルファーの誰もが競技に命をかけていると私たちは思いがちです。しかし今回ご紹介する男にとってはゴルフが一番ではないのかもしれません。

彼の名はフィル・ミケルソン。母国アメリカでも抜群の人気を誇りますが、親日家の彼は日本ゴルフ界でもたくさんの人に愛されています。家族を愛してやまないオールアメリカンボーイ(模範的アメリカ人)の栄光の軌跡を辿ります。

若き帝王の前に厚いプロの壁が立ちはだかる

若き帝王の前に厚いプロの壁が立ちはだかる

ミケルソンがゴルフを覚えたのは3歳のとき。父親のスイングを正面から見て覚えたために、ゴルフに限っては左打ちになりました。

将来の名選手も、母親によれば「こんなに不器用な子どもは見たことがない」とのこと。壁や柱にぶつかることが多い息子を心配して、アメリカンフットボール用のヘルメットを被せていたそうです。

大学在学中にPGAツアーで優勝。ビッグレフティーの登場と、1992年に鳴り物入りで男子プロゴルフ界に入ったフィル・ミケルソンですが、しばらくはプロの厚い壁に阻まれます。

いつも良い順位には着けるものの、優勝まであと一歩手が届きません。300ヤード以上も飛ばすスプーンや、中継するテレビ画面からはみ出る程の豪快なロブショットでアメリカ男子ゴルフファンの注目を集めますが、勝負どころのショートパットで弱さが露呈し、いつしか「無冠の帝王」と呼ばれるようになりました。

最愛の妻がくれる目に見えない勝利のパワー

最愛の妻がくれる目に見えない勝利のパワー

メジャー4大会でも、優勝争いに絡んだ末に勝利を逃し続けたミケルソン。大会前の会見で記者と交わされる「自信の程は?」「今度こそ!」というやりとりも風物詩になりつつありました。

そんな彼に、ようやく勝利の女神が微笑んだのは、プロ入りから13年目の2004年マスターズ大会。一度美酒を味わって勝負どころの緊張がほぐれたのか、その後も着実に勝利を積み重ねます。2005年は全米プロとマスターズの2冠を達成。ビッグプレイヤーとしての名を不動にします。

順調にキャリアを刻み出したミケルソンの陰には家族の姿がありました。特に学生時代からの恋人である妻のエイミーは、ミケルソンにとってかけがえのない存在。2009年、その妻が乳ガンの宣告を受けたとき、ミケルソンは目前に迫っていた全米オープンの出場はおろか、妻が回復するまで無期限の活動休止を宣言したと言います。

早期発見のガンだったために数週間で競技に復帰したミケルソンでしたが、病床の妻が気がかりだったのか、その年の全米オープンは「あと一歩で優勝を逃す」という、かつてのミケルソンを思い起こさせる結果となりました。

ファン、そして家族と共にこれからも強き姿を見せたい

ファン、そして家族と共にこれからも強き姿を見せたい

2010年のマスターズ大会の最終日。乳ガン撲滅を訴えるピンクリボンをキャップに付けたミケルソンは、要所のパットを確実に沈めて、3度目のグリーンジャケットを手にします。

しかし、ミケルソンの表情が最も歓喜に溢れた瞬間は、大会中ずっと近くで見守ってくれていた愛妻を抱きしめたとき。彼の頬に流れた一筋の涙は、アメリカ男子ゴルフファンの心を掴みました。

2012年、世界ゴルフ殿堂入り式典のスピーチで、ミケルソンは次のように話しています。

「ファンの方々のおかげで、楽しいキャリアを送ってこられました。不調で苦しんだときも、皆さんからのエネルギーがあったからスランプを脱出できたと思っています。その皆さんに恩返ししたいとの気持ちで、これまで競技を続けてこられたのです。」

2013年、43歳のとき、相性が悪いと言われ続けていた全英オープンを制覇し、メジャー5勝を達成したミケルソン。2016年現在で生涯獲得賞金ランキング歴代2位(約8,000万ドル)、PGAツアー通算42勝(歴代9位)という輝かしい実績に恥じず、円熟味の増したゴルフで、現在も多くのファンを魅了しています。

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