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ゴルフ偉人伝【モー・ノーマン】

17回のホールインワン、40コース以上のコースレコード、3回のスコア59。ゴルフの常識をくつがえしたボールストライカー、モー・ノーマンの名前を知っていますか?あるエキシビジョンではドライバーショットを打つこと7時間、1,500球以上を打った結果、1番飛ばなかったボールは225ヤード、すべてのボールが30ヤードの幅に収まっていたという信じられないエピソードもあります。

卓越した技術を持ちながらもカナダでのプレーにこだわった、知る人ぞ知る天才ゴルファーをご紹介します。

人付き合いは苦手ながらゴルフの腕は天下一品

人付き合いは苦手ながらゴルフの腕は天下一品

1929年、カナダのオンタリオ州キッチナーで生まれたモー・ノーマン。5歳のとき、事故に遭ったモーは、顔の骨が歪み、言語障がいを患ってしまいます。

内気な性格もあって学校でなかなか友人はできませんでしたが、唯一無二の親友が、錆びた5番アイアンでした。モーは、毎日のように暇さえあればボールを打ち、才能を開花させていきます。

自分が思うところにボールが打てることに気づいたモーは、20歳でカナダ各地のアマチュア・ゴルフトーナメント巡りを始めました。当初は、冴えない外見と、少年時代に身に付けた自己流の変則スウィングで、周りの選手や観客に笑われてしまいます。

しかし、間もなく彼は才能を遺憾なく発揮し、周りに自分のゴルフを認めさせることに成功。ここから、彼の伝説が始まります。

ゴルフを愛するあまり、文字通り練習で血が滲む

ゴルフを愛するあまり、文字通り練習で血が滲む

モーの正確無比なショットはたちまち話題になります。1年間で61のスコアを4回出し、コースレコードを9回塗り替え、年17回の優勝をするなど、実績は凄まじいものでした。

ただ、モー自身は、どんなに自分の評価が高まっても、優勝スピーチが大の苦手。表彰台に立つのも嫌がる程シャイだったそうです。

しかし決して人間嫌いではなく、純粋にゴルフを愛していたのでしょう。26歳で出場を果たした全米マスターズでは、背中を後押ししてくれる人と出会います。

初日は75と、アマチュアとしては上出来のスコアを残しましたが、不本意な成績を悔い、一日目が終わって練習に励んでいると、ある人物からアドバイスを受けます。

その人物とは、サム・スニード。のちに「世界ゴルフ殿堂」へ殿堂入りする偉人の助言に感動し、モーは、手のひらが血まみれになっても練習をやめませんでした。翌日はクラブを握れず、残念ながら大会を棄権することになったそうです。

不遇のプロ生活と語り継がれるスタイル

不遇のプロ生活と語り継がれるスタイル

モーは、計り知れない才能と輝かしい実績の持ち主でしたが、そのことは世間一般の人にあまり知られていないと言われています。その理由は、アメリカでプレーをしなかったからです。

非常に早打ちだった彼は、他の競技者が打ち終えるまでフェアウェイの上に寝そべり、カナダの客を沸かせていました。このパフォーマンスをアメリカでも実践しようとしましたが、1959年のロサンゼルス・オープン競技終了後、ロッカーでアメリカの男子プロゴルファー数人に囲まれます。

「おどけたまねをするのはやめろ!」

ずっと憧れていたアメリカのゴルファーたちに責められたモーは傷つき、二度とアメリカではプレーしないと決心。この出来事がなければ、ゴルフの歴史も大きく変わっていたのではないか、と言われています。その後も、モーは、観客を楽しませるプレーやパフォーマンスを、カナダで続けました。

現役時に不遇だったモーは、引退後に再評価され、カナダのゴルフ殿堂にも名を連ねました。2004年の冬に亡くなった今も、多くのゴルファーが彼を尊敬し、生前のプレーを讃えています。

例えば、アメリカ男子プロゴルフ界の名手トム・ワトソンは、「誰よりもうまくボールを打つ男を教えよう。彼の名は、カナダのモー・ノーマンだ」というコメントを残しています。これから歳月をかけて、母国カナダはもちろん、世界中でモーは「世界一のボールストライカー」として語り継がれていくのかもしれません。

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