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ゴルフ偉人伝【ジャック・ニクラス】

男子ゴルフ界の「帝王」ジャック・ニクラス。アメリカのみならず日本にもその名前を知らしめている彼の「ゴルフ偉人伝」をお届け致します。

メジャー18勝の偉業「帝王」と呼ばれた男

メジャー18勝の偉業「帝王」と呼ばれた男

ジャック・ニクラス。この名前を知らないゴルファーはいない、と言っても過言ではないでしょう。

凄まじい実績で軌跡を残し、アメリカ男子ゴルフ界のみならず、世界中のゴルフ界に貢献しました。高度なテクニックやゴルフへのひたむきな姿勢、誠実な人柄は、今もなお多くのプレイヤーに影響を与え続けています。

1940年、オハイオ州コロンバスで生まれたジャック・ニクラス。スクラッチゴルファーだった父の手ほどきで、10歳のときにクラブを握ります。アマチュア時代から大活躍し、全米アマチュア選手権で2度目の優勝を果たした1961年にプロへ転向しました。

翌1962年に全米オープンでプロ初優勝を飾ってから、伝説が始まります。マスターズ6勝、全米オープン4勝、全英オープン3勝、全米プロゴルフ選手権5勝。メジャー史上最多となる通算18勝を挙げ、「帝王」と呼ばれました。因みに、80年の全米オープンでは青木功を2位に退け、日本男子初のメジャー優勝を阻んでいます。

1986年のマスターズ制覇時に、46歳2ヵ月という史上最年長記録を樹立。シニアとしてもチャンピオンズツアーで4大タイトルを勝ち取って健在ぶりを示し、2005年の全英オープン出場を最後に引退しました。

嫌われ者の「ホワイト・ベア」から人気者の「ゴールデン・ベア」へ

嫌われ者の「ホワイト・ベア」から人気者の「ゴールデン・ベア」へ

史上最高のゴルファーとして敬愛されているジャック・ニクラスですが、プロデビュー後しばらくは、アメリカ男子ゴルフ界の悪役でした。と言っても、素行が悪かった訳ではありません。スターゴルファー、アーノルド・パーマーと比べられ、敵役に見られていたのです。

プロ初勝利となった1962年の全米オープンではプレーオフでパーマーに競り勝ちましたが、拍手よりブーイングの方が大きかったそうです。

悪役のイメージを強めていたのが、「ホワイト・ベア」と呼ばれていたニクラスの風貌です。デビュー当初のニクラスは太っており、髪は短く刈り込んでいました。ハンサムで爽やかなパーマーと、正反対だったようです。

ところが、その後ニクラスは劇的なイメージチェンジを遂げます。70年代にダイエットに成功、髪を伸ばし、オシャレなウェアを身につけ、周囲を驚かせました。やがて、ゴルフの実力も相まってファンが急増。「ホワイト・ベア」という名も「ゴールデン・ベア」という愛称に変わっていきました。

プレーに専念するだけでなく、人々を楽しませようとしていたニクラスの、プロ精神が感じられるエピソードです。

ゴルフを通して多くの人を喜ばせたい、という思い

ゴルフを通して多くの人を喜ばせたい、という思い

第二次世界大戦後、テレビの普及と共にゴルフは世界中に広がりました。その流れに乗って活躍し、ゴルフ人気を高めた3人が、ジャック・ニクラスとアーノルド・パーマー、ゲーリー・プレーヤーの「ビッグ・スリー」です。

ニクラスは、常にゴルフ界のことを考えながら選手生活を送っていました。ひとりでも多くの人にゴルフを好きになってもらおうと、人気のない大会にあえて出場することも多かったそうです。

またニクラスは、コースマネジメント(コースの距離や構成、状態などを踏まえて攻略法を考えること)を導入した最初のゴルファーであるとも言われています。だからこそ、素晴らしいゴルフコースを世界中に設計できたのかもしれません。きっとゴルフ初心者やシニア、女性など幅広い層の人がゴルフを楽しめるように配慮したのでしょう。

プレイヤー、コース設計者として尽力し、ゴルフをメジャースポーツに押し上げたニクラス。彼はまた、家族を大切にするファミリーマンでもあります。1986年のマスターズでは、キャディを務めた息子の力も借りて優勝を果たしました。

人のことを考えてゴルフに取り組む姿勢を貫いたジャック・ニクラスは、これからも偉大なゴルファーとして語り継がれるでしょう。

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