1つ前のページへ

ゴルフ偉人伝【樋口久子、岡本綾子】

今や国民的な人気を誇る日本女子プロゴルフ。2016年のゴルフツアー賞金総額は史上最高の35億2,000万円、年間試合数は国内男子を上回る38試合と、大きな盛り上がりを見せています。

その陰に宮里藍や横峯さくらといった2000年代国民的アイドルゴルファーの活躍があったのはもちろんですが、彼女たちの活躍を語る上で日本女子プロゴルフの発展に寄与したこの2人の存在を外すわけにはいけません。

日本女子プロゴルフを活性化させた立役者、樋口久子と岡本綾子についてご紹介します。

日本人で唯一の海外メジャー優勝者。女子プロゴルフの礎を築いた樋口久子

日本人で唯一の海外メジャー優勝者。女子プロゴルフの礎を築いた樋口久子

戦後、アマチュアの職業婦人ゴルファーが出現し、篤志家のバックアップを経て女子プロテストが行なわれたのは1967年。女子プロゴルファーとして認定された41名中の1人が、樋口久子でした。

陸上競技選手だった樋口は高校時代、姉が勤めていた東急砧ゴルフ場で中村寅吉と出会い、ゴルフへの興味を深めます。高校卒業後、早速中村に弟子入りし、1967年の第一期女子プロテストに合格しました。

翌1968年には第一回日本女子プロゴルフ選手権大会、TBS女子オープン選手権(現・日本女子オープンゴルフ選手権競技)と2大メジャーで優勝を果たし、以後10年以上この2冠を独占。ライバルの佐々木マサ子が日本女子オープンで優勝するまで、公式戦無敗を誇りました。

海外も見据えた樋口は、アメリカ女子ゴルフツアーに参戦し、1977年、メジャー大会の全米女子プロゴルフ選手権で優勝。以来、男女ともに海外メジャーで優勝した日本人ゴルファーは1人もいません。

重要なのは、アメリカで学んだテクニックやファッション、ライフスタイル、協会運営法などを樋口が日本に持ち帰ったこと。樋口の海外経験が国内でシェアされ、女子プロゴルフは発展したのです。

現役引退後も、日本女子プロゴルフ協会会長を務めた樋口は、2003年にクォリファイングトーナメントを設け、若手や海外のゴルファーの参戦を促し、後進育成に尽力。同年世界ゴルフ殿堂入りを果たし、2014年にはゴルフ界初の文化功労者に選ばれました。

世界中のゴルフツアーで大活躍。女子ゴルフをメジャーにした岡本綾子

世界中のゴルフツアーで大活躍。女子ゴルフをメジャーにした岡本綾子

樋口久子が基礎を作った女子プロゴルフをポピュラーに押し上げたのが、岡本綾子です。

広島県の農家に生まれ、家業を手伝って強靭な足腰を培った岡本は、大和紡績福井工場に就職後、ソフトボール部でエース兼4番打者として活躍します。

そして和歌山国体で優勝し、祝勝旅行のハワイでゴルフ場を見学したとき、「ゴルフを通じて憧れだったアメリカに行ける」と思ったことをきっかけにゴルフを始めたそうです。

1974年のプロテスト合格時、海外プレーへの抱負を語り先輩陣の反発を買いますが、その後すぐに単なるビッグマウスではなかったことを証明してみせます。

デビュー1年目の1975年、美津野トーナメントで早くも初優勝。男子顔負けのパワーショットは、ソフトボールで鍛えた肉体の賜物でした。1979年には日本女子プロゴルフ選手権を制覇。パープレーが基本の難コースで、バーディー合戦を繰り広げ、樋口をはじめ多くの人を仰天させます。

1981年には史上初の賞金3,000万円を突破。初賞金女王の座に就くと、同年、アメリカのLPGAツアーに本格参戦し、アリゾナコパークラシックで、樋口以来2人目となるアメリカ女子ゴルフツアー優勝を飾ります。そして1987年には、LPGAツアー賞金女王に輝き、年間最優秀選手として表彰もされました。

戦績は国内ゴルフツアー44勝、米女子ゴルフツアー17勝、欧州ゴルフツアー1勝、通算62勝。世界を股に掛けた岡本の大活躍をマスメディアも大きく報道し、日本の女子プロゴルフは完全に市民権を得たのです。

※2017年2月の掲載内容になります。

全国のゴルフ場・ゴルフ練習場をお探しの方はこちらへ

ケータイ版・スマートフォン版「ホームメイト72GOLF」への
アクセスはこちら

ケータイ版ホームメイト72GOLF
スマートフォン版ホームメイト72GOLF

ページの先頭へ