1つ前のページへ

ゴルフ偉人伝【ベーブ・ディドリクソン=ザハリアス】

女子プロゴルフの礎を築いた「ベーブ・ディドリクソン=ザハリアス」。今もなおその名前が語り継がれる彼女の、「ゴルフ偉人伝」をお届け致します。

まるで漫画の主人公 男子顔負けのスーパーウーマン

まるで漫画の主人公 男子顔負けのスーパーウーマン

1911年、海に程近いテキサス州ポートアーサーで暮らすノルウェー移民の夫婦のもとに、1人の女の子が誕生しました。名はミルドレッド・エラ・ディクソン。

ウィンタースポーツ選手だった母親の血を引いた彼女は、幼い頃から運動好きで、男兄弟に混じって野球に興じることもしばしばでした。とある試合で1試合に5ホームランを打ったことから、ベーブ・ルースにちなんで「ベーブ・ディクソン」と呼ばれるようになったというエピソードもあります。

高校時代はバスケットボール部でエースになり、アメリカ代表にも選出。テニス、陸上競技、水泳、スケート、ボウリング、ライフルなど、あらゆる競技で身体能力を発揮します。

1931年に記録した野球の遠投記録296フィートは、ギネス世界記録に認定。1932年のロサンゼルス競技大会では3競技に出場し、やり投げと80mハードル走で金メダル。走り高跳びで銀メダルを獲得しました。

大リーグのフィラデルフィア・フィリーズで、投手として1イニング投げた記録も残っています。

「米国男子ゴルフツアー予選突破」という後人未踏の金字塔

「米国男子ゴルフツアー予選突破」という後人未踏の金字塔

多方面で活躍した彼女がゴルフに転向したのは1935年。持ち前の運動神経からめきめきと腕を上げ、プロレスラーのジョージ・ザハリアスと結婚した1938年には男子に混じってロサンゼルスオープンに出場。

このときは予選落ちするものの、7年後の1945年には、同大会で見事予選を突破します。残念ながら、3日目のカットで最終日に進むことはできませんでしたが、アメリカの男子ゴルフ界を驚かせるには十分でした。

現在、男子ゴルフツアー予選を突破した女子選手はアジアンツアーのミシェル・ウィーと、韓国ゴルフツアーの朴セリがいますが、米国ゴルフツアーの予選を突破した女子選手は、ベーブ・ディドリクソン=ザハリアスただ1人です。

女性スポーツの幕開けと早すぎる別れ

女性スポーツの幕開けと早すぎる別れ

1947年にベーブはプロに転向します。しかし、男子に比べて女子の環境整備は整っていません。そこで、最大のライバルであるルイーズ・サッグスをはじめ、アリス・バウワー、オパル・ヒル、マリリン・スミスら13名と共に、LPGA(全米女子プロゴルフ協会)を設立します。

コースセッティングからスポンサー獲得活動まで自ら行なうかたわら、競技でも男子顔負けのプレーを連発。LPGAでの10勝、20勝、30勝の最速到達記録は、今も破られていません。

1953年に結腸ガンの手術を2度受けるもカムバックし、1954年の全米女子オープンで2位に12打差を付けて優勝。同年は5勝をマークしました。

しかし翌年にガンが再発。以降ベーブはグリーンに戻ることなく、1956年9月27日、45歳にして早すぎる死を迎えました。

翌1957年、ゴルフのスポーツマンシップへの貢献を讃えるボビー・ジョーンズ賞を受けます。1974年の世界ゴルフ殿堂設立時は、初代殿堂入りメンバー13名の中に選ばれました。

女性のスポーツを「遊び」と捉えていた男性社会の時代に、類まれな才能で活躍し、女子競技を確立したベーブ。現在、日本で男子ゴルフと同等に女子ゴルフが支持されているのも、彼女が築いた礎のおかげかもしれません。

全国のゴルフ場・ゴルフ練習場をお探しの方はこちらへ

ケータイ版・スマートフォン版「ホームメイト72GOLF」への
アクセスはこちら

ケータイ版ホームメイト72GOLF
スマートフォン版ホームメイト72GOLF

ページの先頭へ