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ゴルフ偉人伝【青木 功】

日本人初のアメリカゴルフツアー制覇で、日本男子ゴルフの力を世界中に見せつけた「青木功」。「東洋の魔術師」と呼ばれる彼の「ゴルフ偉人伝」をお届け致します。

世界に日本ゴルフを知らしめたグリーン上の魔術師

世界に日本ゴルフを知らしめたグリーン上の魔術師

1978年の世界マッチプレー選手権。そして1980年の全米オープン。2つの大会で鮮烈な印象を残し、「東洋の魔術師」と賞賛を集めた日本人ゴルファー、青木功。

鮮やかなパッティングとバイタリティー溢れる言動は、世界のゴルフファンに鮮烈な印象を与え、日本の男子ゴルフ界に大きな希望をもたらしました。

青木がプロ入りしたのは22歳のとき。1971年の関東プロゴルフ選手権で初優勝してからはメキメキと頭角を現し、1976年には賞金王の座を獲得しました。

今では「AO時代」と呼ばれる、尾崎将司としのぎを削っていた時期を経て、4年連続賞金王を含む5度の国内賞金王、日本人選手初のアメリカゴルフツアー制覇など、国内外で目覚ましく活躍を挙げ、1992年にシニア入り。

その後もシニアツアーで勝利を重ね、2004年に日本男子では初となる世界ゴルフ殿堂入りを果たします。2008年には紫綬褒章を受章。歳を重ねてもなお、日本ゴルフ界のパイオニアとして存在感は陰ることを知りません。

挫折から始まった栄光への道のり

挫折から始まった栄光への道のり

1942年、千葉県我孫子市の農家に生まれた青木は、プロ野球選手を夢見る少年時代を送ります。中学でも野球部に所属し、ゴルフとは無縁の日々。ですが、3年時の最後の試合でサヨナラ負けを喫し、悔しさのあまり野球を辞めてしまいました。

その暇つぶしで始めたのが、近所の我孫子ゴルフ倶楽部でのアルバイト。たちまちゴルフの虜となり、中学卒業後もキャディとして働きながら、林由郎プロの研修生となりました。20歳のときにプロテストを受験しますが、一打差で涙を呑む結果に。

22歳で再受験して、念願のプロになりますが、以後は慢心から練習に力が入らず、実力も伸びません。一時は、プロボウラーへの転身も考えた程でした。

しかし、気を改めて過酷なトレーニングを積んでからは、徐々に結果も出るようになります。そして、29歳のとき、関東プロゴルフ選手権にて苦節7年の成果が、初優勝という形で現れたのでした。

好敵手の存在が飛躍へのバネとなった

好敵手の存在が飛躍へのバネとなった

青木が初優勝を果たした1971年。この年の日本プロゴルフ選手権で、同じく初優勝を飾ったのが、のちのライバルとなる尾崎将司でした。

繊細なパットが持ち味の青木と、豪快なショットを身上とする尾崎の争いは、その対比も相まって多くのファンを魅了。互いにしのぎを削り合いながらも、日本男子ゴルフ界を牽引する立場として、両雄は並び立ちます。

青木最大の武器である「粘り」を手に入れてからは、1978年から4年連続賞金王と、国内での地位を不動のものに。同じく1978年には、「世界マッチプレー選手権」で海外初優勝。1980年には、「帝王」ジャック・ニクラスと相まみえます。

5打差と力の差を見せつけられた初日から、じわじわと差を詰めて最終日の最終ホールまで接戦を演じた死闘は、現在でも語り継がれる名勝負。青木の名が、一躍世界に轟いた瞬間でもありました。

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