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マスターズ史上に輝く
40ヤードのチップイン

プロゴルフを観戦していると簡単そうに見えてしまうバーディー。スコア上は単なる「-1」でも、イーグルより価値のあるバーディーがゴルフにはあります。

今回の好プレーは、絶体絶命のラリー・マイズが見せたメジャー選手権史上初の、チップインバーディーによるウイニングショットです。

名も実績も劣る状況。信じられるのは自分だけ

名も実績も劣る状況。信じられるのは自分だけ

1987年の第51回マスターズ。全選手がホールアウトしたオーガスタ・ナショナルGCで、プレーオフが始まろうとしていました。

開始点となる10番ホールのティーグラウンドには、3人の選手が立っています。ひとりは、当時、天才の名をほしいままにしていたセベ・バレステロス。もうひとりは、「ホワイト・シャーク」の異名で、アグレッシブなプレーが魅力のグレッグ・ノーマン。マスターズ初制覇に向けて、意気込み十分です。

その2選手と比べて、残るひとりは格落ち感が否めません。名はラリー・マイズと言い、4年前にPGAツアーで1勝を挙げた以外は目立った成績のない28歳の若者ゴルファーです。プレースタイルも良く言えば「堅実」、悪く言えば「地味」で、特別な武器があるわけでもありません。強いて挙げるなら、ここが彼のホームタウンであることくらいでした。

オーガスタ出身の彼は、14歳のときにスコアボード係を務めるなど、10代の頃からボランティアとしてマスターズにかかわっていました。それから約10年後。「念願のマスターズの舞台に立てたことは立派だが、優勝は難しいだろう」というのが、大方のパトロンたちの予想でした。

少年時代の夢が魔女をも恐れぬ勇気をもたらした

少年時代の夢が魔女をも恐れぬ勇気をもたらした

オーガスタ・ナショナルGCは、特にグリーンの難易度で知られます。硬く、滑りやすいセッティングは「ガラスのグリーン」と呼ばれる他、「魔女が棲んでいる」と言われることも。その魔女のせいか、10番ホールでパーパットを失敗したバレステロスが、あっけなく脱落します。

そして舞台は、「アーメンコーナー」の入り口である11番ホールに移されます。505ヤードのパー4。グリーンは左に傾斜し、その先で池が待ち構える難関です。

まずは2人とも、定石通りにグリーンの右側から攻めていきます。しかし2打目、グリーンオンしたノーマンに対して、池を避けたい気持ちが強すぎたか、マイズのボールはグリーン右のラフに捕まってしまいました。カップまでの距離は約40ヤード。万事休すです。ノーマンも勝利を確認したのか、余裕の表情でじっくりとラインを読みにかかりました。

持ち前のアグレッシブさを懐にしまったノーマンを尻目に、マイズは一か八かの大勝負に出ます。カップまでの距離を目測し、三度素振りしたあと、もう一度方向を確かめてからスイング。

渾身のひと振りから放たれたボールは、グリーン上に躍り出てからまっすぐ駆けると、ピンを直撃してカップに入りました。まるで約束されていたかのような、見事なカップイン。グリーンの魔女が、ゴルフの女神に変わった瞬間でした。

奇跡を起こしたマイズに対し、バーディーパットを左に逸らしてしまったノーマン。この瞬間、自身にとって2度目となる勝利を、マスターズという大舞台で果たしたのです。

マイズ自身も、手を叩き、両腕を上げ、天に手を合わせて、飛び跳ねてと大喜び。試合後は「子供のときの夢が、今日叶った」と、ボランティア時代に思いを馳せながら喜びを噛み締めました。

勝利数は少なくとも名はマスターズにふさわしく

勝利数は少なくとも名はマスターズにふさわしく

グリーンジャケットのプレゼンターを務めたジャック・ニクラスは、「この勝利で今後の人生の多くの扉が開くだろう」と声をかけたと言います。

その後果たした2勝を含む、PGAツアー通算4勝という数は、やや物足りないように思われるかもしれません。しかしマスターズという大会の、最も記憶に残る場面で見事にミラクルショットを生み出した彼の名は、ゴルフ史の中にしっかりと刻み込まれることでしょう。

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