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日本男子プロゴルフのあゆみ

1901年に建設された日本初のゴルフコース。そこから歴史が動き出し、今日では多くの日本人から親しまれるようになったゴルフを、日本男子プロゴルフに焦点を当ててご紹介致します。

六甲山に生まれた日本プロゴルフの源流

六甲山に生まれた日本プロゴルフの源流

1901(明治34)年、神戸六甲山に、日本初のゴルフコースが誕生しました。手がけたのは、イギリス人貿易商、アーサー・ヘスケス・グルーム。仲間の協力のもと、苦労して4ホールのコースを完成させました。

1903年には9ホールに拡張。同年、日本初のゴルフクラブ「神戸ゴルフ倶楽部」も結成されました。会員は135名で、ほとんどは外国人。この当時は、日本人のためのゴルフではなかったのです。

しかし、ここから日本ゴルフの歴史は動き出します。主役は、六甲山ふもとの村で暮らす少年たち。彼らは、山のふもととゴルフコースを往復するカゴを担いだり、少年キャディを務めたりと、当時の日本で最もゴルフが身近だった少年でした。

人のクラブを拝借して練習し、腕を磨く少年も現れます。それを知ってか、1905年(明治38年)、プロ競技の草分けとされるキャディ競技が神戸ゴルフ倶楽部で行なわれます。優勝者は石屋の息子、横田留吉で、当時14歳。優勝スコアは50(10ホール)。彼は、翌年、翌々年と3連覇を果たしますが、プロの道には進みませんでした。

それでも、1920年(大正9年)にプロ1号となった福井覚治や、実質的な日本プロ選手権の第1回大会「全国プロフェッショナル・ゴルファーズ優勝大会」で優勝し、日本人プロ初の海外遠征者になった宮本留吉など、初期に活躍したゴルファーとして、六甲山での少年キャディ経験者が多く名を連ねます。

なお、当然ながら現在のようなプロテスト制度がない時代です。プロには倶楽部の認定が必要で、しかもキャディマスターやグリーンキーパーを兼任していました。

ゴルフ界にも広がった戦火、復興と飛躍を遂げた希望の時代

ゴルフ界にも広がった戦火、復興と飛躍を遂げた希望の時代

1924年(大正13年)に、のちの日本ゴルフ協会であるジャパン・ゴルフ・アソシエーションが設立。10年経たずして、1932年(昭和7年)、宮本留吉が日本人で初めて全英オープンと全米オープンに出場します。

今後の発展に希望が持てた日本プロゴルフ界ですが、やがて戦争の暗い影が忍び寄ります。

1942年(昭和17年)にはゴルフ競技が次々と中止され、ゴルフ場は芋や野菜の畑に。優勝記念品の金メダルですら、金属類回収令によって徴収されたという記録が残っています。

しかし、日本プロゴルフの情熱は冷めませんでした。終戦後、関東プロ、関西プロ、日本プロと各選手権が一斉に芽吹くように復活。日本オープンも再開され、1952年(昭和27年)には、戦後初の海外遠征として、林由郎、中村寅吉、石井迪夫、島村祐正の4選手が渡米します。

PGAが設立された1957年(昭和32年)には、第5回カナダ・カップが霞ヶ関CC(埼玉)で開催。中村寅吉・小野光一ペアが団体優勝、中村寅吉が、のちに殿堂入りするサム・スニードを破り、個人優勝を果たしました。

この快挙と、ゴルフ界初のテレビ中継が相まって、第1次ブームが到来。9年後の1966年(昭和41年)読売CC(東京)で開催されたカナダ・カップでは、ジャック・ニクラス、アーノルド・パーマー、ゲーリー・プレーヤーという3大スターの共演で第2次ゴルフブームが訪れ、日本各地でゴルフ場の建設も進められました。1970年代前半には、ゴルフトーナメントの創設も活発化します。

プロ制度の基盤が固まり、「観るゴルフ・魅せるゴルフ」に

プロ制度の基盤が固まり、「観るゴルフ・魅せるゴルフ」に

1974年(昭和49年)、米ゴルフツアーに倣ってシード選手制が導入され、現行システムに通じる体制が整います。

なお、賞金ランクそのものはすでにあり、初代シード選手も、尾崎将司、青木功、杉原輝雄など、前年度のランキング上位30名が選ばれました。女子ゴルフ協会も同年に誕生しました。

翌1975年(昭和50年)、日本プロゴルフ史上に輝く偉大な記録が誕生します。村上隆が「日本プロゴルフ選手権大会」、「日本オープン」、「日本プロゴルフマッチプレー選手権」、「ゴルフ日本シリーズ」と、「日本」を冠する国内4大公式戦を制覇し、「日本グランドスラム」を達成。ちなみに、村上プロが4大公式戦で優勝したのは、この年のみ。生涯1度ずつの優勝を、なんと同じ年に果たしたのでした。

1983年(昭和58年)、青木功がハワイ・オープンを制し、日本男子プロ初の米ゴルフツアー優勝を遂げます。しかも国内では尾崎将司、中嶋常幸と役者が揃っており、ゴルフ人気はさらに加熱します。

その時代は「AON時代」と称され、試合数、賞金額も増加し、日本プロゴルフ界は黄金期を迎えました。ファン層の拡大に伴って、観るゴルフ、魅せるゴルフも定着。エンターテインメントとしての要素を加えたことで、ゴルフは多くの日本人から親しまれるスポーツとなったのです。

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